スギはあるのに、なぜヒノキはない?スギ舌下免疫療法がヒノキに及ぼす「限定的な効果」と「開発の壁」|千里丘かがやきクリニック|吹田市長野東の内科・消化器内科

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スギはあるのに、なぜヒノキはない?スギ舌下免疫療法がヒノキに及ぼす「限定的な効果」と「開発の壁」

スギはあるのに、なぜヒノキはない?スギ舌下免疫療法がヒノキに及ぼす「限定的な効果」と「開発の壁」|千里丘かがやきクリニック|吹田市長野東の内科・消化器内科

2025年12月24日

スギはあるのに、なぜヒノキはない?スギ舌下免疫療法がヒノキに及ぼす「限定的な効果」と「開発の壁」

はじめに

スギ花粉症に対する舌下免疫療法(シダキュアなど)は普及していますが、なぜ「ヒノキ単独」あるいは「ヒノキを含む」舌下免疫療法薬が存在しないのでしょうか?
舌下免疫療法を始めばかりの患者さんからよく質問を受けます。
その理由は次の2点に集約されます。

・「スギとヒノキの物質的な構造が酷似しているため、スギの治療薬でヒノキにもある程度の効果(交差反応)が期待できること
・「ヒノキ単独の薬剤を開発・承認するための臨床的なハードルの高さ

植物学的・免疫学的な「そっくりさん」関係

まず、スギとヒノキの関係性を理解する必要があります。
生物学的な分類において、スギ(ヒノキ科スギ属)とヒノキ(ヒノキ科ヒノキ属)は非常に近い親戚関係にあります。以前はスギ科とヒノキ科に分かれていましたが、近年のDNA解析に基づく分類(APG分類体系)では、スギも「ヒノキ科」に統合されています。

交差抗原性(Cross-reactivity)のメカニズム

アレルギー反応は、体内の免疫システムが花粉に含まれる特定のタンパク質(アレルゲン)を「敵」とみなして攻撃することで起こります。このとき、免疫システムはアレルゲンの「形(立体構造)」を認識しています。
スギ花粉の主要なアレルゲンは「Cry j 1(クリジェイワン)」と「Cry j 2(クリジェイツー)」と呼ばれます。一方、ヒノキ花粉の主要アレルゲンは「Cha o 1(チャオワン)」と「Cha o 2(チャオツー)」です。
科学的な解析により、これらのアミノ酸配列(タンパク質の設計図)は、約70〜80%という極めて高い一致率(相同性)を持つことが判明しています。


Cry j 1 と Cha o 1 の相同性:約80%前後
Cry j 2 と Cha o 2 の相同性:約75%前後


これほど構造が似ているため、私たちの体内のIgE抗体(アレルギー反応の主役)は、ヒノキ花粉が入ってきたときに「これはスギ花粉だ(あるいはその仲間だ)」と誤認して反応してしまいます。これを「共通抗原性」または「交差抗原性(クロスリアクティビティ)」と呼びます。
この科学的事実が、「スギ花粉の薬を使えば、構造の似ているヒノキ花粉に対する免疫寛容(慣れ)もある程度誘導できる」という根拠の土台となっています。

舌下免疫療法の原理と「スギ・ヒノキ論争」

舌下免疫療法は、アレルゲン(抗原)を少しずつ体内に取り入れ、免疫細胞に「この物質は危険ではない」と学習させる治療法です。

制御性T細胞の誘導

治療を続けると、免疫の暴走を抑える「制御性T細胞(Treg)」などが増加し、アレルギー反応を起こす抗体(IgE)の働きをブロックする「IgG4抗体」などが作られます。
ここで重要なのは、スギ花粉エキスで作られた薬(シダキュア)を服用することで作られる防御壁(IgG4抗体など)が、構造の似ているヒノキのアレルゲン(Cha o 1, Cha o 2)もブロックしてくれるかどうかです。

臨床データが示す「限定的な効果」

複数の臨床研究において、スギ花粉舌下免疫療法を行っている患者さんは、行っていない患者さんに比べて、ヒノキ花粉飛散時期の症状も軽減されることが報告されています。
しかし、その効果は「スギ飛散期ほどの劇的な抑制効果ではない」ことも同時に示されています。
スギ花粉に対する治療効果を「100」とした場合、ヒノキに対する効果は、研究によりますが「ある程度有効だが、完全ではない」という結果にとどまる傾向があります。これは、構造が70〜80%似ていても、残りの20〜30%の「ヒノキ特有の構造(エピトープ)」に対しては、スギの薬では免疫を獲得できないためです。

なぜ「ヒノキ専用」の薬を作らないのか?

「スギの薬だと効果が不完全なら、ヒノキ専用の薬も作ればいいではないか」と思われるかもしれません。しかし、そこには製薬と臨床試験における高いハードルが存在します。

「純粋なヒノキ花粉症」の患者が少ない

日本における花粉症患者の大多数は、「スギ単独感作」か「スギとヒノキの重複感作」です。「スギには反応せず、ヒノキだけに反応する」という患者さんは極めて少数派です。
医薬品の開発には、数千人規模の臨床試験(治験)が必要です。ヒノキ単独の薬の効果を証明するためには、「スギ花粉の影響を除外して、ヒノキの時期だけ症状が出る人」を集めるか、あるいは「スギ花粉の飛散が完全に終わった後に、ヒノキ薬の効果だけを測定する」必要があります。
しかし、スギとヒノキの飛散時期は重なることが多く(3月〜4月)、スギのアレルギー反応が残っている状態でヒノキの飛散が始まるため、「ヒノキ薬単独の効果」を統計的に証明することが極めて難しいという現実があります。

新薬開発のコスト対効果

スギ花粉エキス(シダキュア)の開発・承認には莫大な時間とコストがかかりました。前述の通り、スギの薬でヒノキ症状もある程度(約半数以上の患者で)軽減するというデータがある以上、製薬会社としては「巨額の投資をしてヒノキ専用薬を作っても、既存のスギ治療薬に対する優位性(劇的に効果が上回ること)を証明しにくい」というジレンマがあります。

アレルゲンの抽出技術の問題

かつては、自然界から採取したヒノキ花粉からエキスを抽出する際、どうしても近隣のスギ花粉が混入してしまうリスクや、品質の均一化(標準化)が難しいという技術的な課題もありました。(※現在は遺伝子組換え技術などで解決可能になりつつありますが、実用化のハードルは依然として残ります。)

最新の研究知見と今後の展望

現在のアレルギー治療ガイドライン(鼻アレルギー診療ガイドライン)においても、スギ花粉症に対する舌下免疫療法は、ヒノキ花粉飛散期の症状軽減にも「有効である可能性がある」といった慎重な表現で記載されています。
科学的なコンセンサスとしては以下のようになります。

主要抗原の酷似

スギ(Cry j 1/2)とヒノキ(Cha o 1/2)は分子構造レベルで高い相同性がある。

交差反応の存在

スギ舌下免疫療法によって誘導されるIgG4抗体などは、ヒノキ抗原とも反応し、症状をある程度ブロックする。

限界

しかし、ヒノキ特異的な部位に対する防御はできないため、ヒノキの飛散量が極端に多い年や、ヒノキに対する感作(アレルギーレベル)が非常に強い患者では、スギの薬を飲んでいてもヒノキの時期に症状が出ることがある。
現状、患者さんができる最善策は、「スギ花粉舌下免疫療法をしっかりと継続すること」です。これにより、まず最大のアレルゲンであるスギを抑え、さらに交差反応によるヒノキへの「おまけの効果」を享受することです。それでもヒノキの時期に症状が出る場合は、その期間だけ抗アレルギー薬を併用するという「ハイブリッド治療」が、現在の標準的かつ合理的な医療アプローチとなっています。

参考文献

1. スギ・ヒノキ抗原の構造的類似性と遺伝的多様性(基礎研究)

論文タイトル: Polymorphisms in Cha o 1 and Cha o 2, major allergens of Japanese cypress (Chamaecyparis obtusa) pollen from a restricted region in Japan.
著者: Tateno M, et al. (PLOS ONE, 2021)
DOI: 10.1371/journal.pone.0261327
内容要約: ヒノキの主要アレルゲン(Cha o 1, Cha o 2)のDNA配列を解析した研究。スギ抗原との高い相同性を前提としつつ、ヒノキ抗原内部でも微細な構造の違い(多型)が存在することを明らかにしており、これが免疫療法の効果に個人差を生む一因となる可能性を示唆しています。

2. スギ・ヒノキ花粉症の最新知見と治療戦略(総説)

論文タイトル: Japanese cedar and cypress pollinosis updated: New allergens, cross-reactivity, and treatment.
著者: Osada T, Okano M. (Allergology International, 2021)
DOI: 10.1016/j.alit.2021.04.002
内容要約: スギとヒノキの交差反応性に関する包括的なレビュー。スギ治療薬に含まれないヒノキ特異的アレルゲン(Cha o 3など)の存在により、スギ舌下免疫療法のヒノキへの効果が限定的になるメカニズムを解説しています。

3. スギ舌下免疫療法のヒノキ花粉症への有効性(臨床研究)

論文タイトル: Japanese cedar pollen sublingual immunotherapy is effective in treating seasonal allergic rhinitis during the pollen dispersal period for Japanese cedar and Japanese cypress.
著者: Yonekura S, et al. (Allergology International, 2022)
DOI:10.1016/j.alit.2021.08.012
内容要約: スギ舌下免疫療法を行っている患者において、スギ飛散期だけでなく、ヒノキ飛散期においても鼻炎症状スコアが有意に改善することを実証した臨床データです。

4. ヒノキ飛散期におけるスギ舌下錠の効果検証(臨床研究)

論文タイトル: Efficacy of Japanese cedar pollen sublingual immunotherapy tablets for Japanese cypress pollinosis: Post hoc analysis of a randomized, placebo-controlled trial.
著者: Gotoh M, et al. (Journal of Allergy and Clinical Immunology: Global, 2022)
DOI:DOI: 10.1016/j.jacig.2022.10.006
内容要約: 多数の患者を対象としたランダム化比較試験の事後解析。スギ舌下錠(シダキュア)が、ヒノキ花粉による症状もある程度抑制することを統計的に証明し、スギ・ヒノキ間の「免疫学的な交差反応」が臨床的に意義があることを裏付けています。

大阪府吹田市長野東19番6号
千里丘かがやきクリニック
院長 有光潤介

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