2026年1月13日

アレルギー発症の基本メカニズム:「コップの水」理論
「若い頃は平気だったのに、なぜ還暦を過ぎてから突然花粉症になるのか?」これは多くのシニア世代が抱く疑問ですが、決して珍しい現象ではありません。かつては「花粉症は若者の病気」と考えられていましたが、近年では60代、70代で初めて発症する「高齢発症(晩期発症)」のケースが増加傾向にあります。この現象には、長年にわたる「抗体の蓄積」、加齢に伴う「身体のバリア機能の変化」、そして現代特有の「環境要因」が複雑に絡み合っています。これらを紐解くことで、なぜ今、発症したのかが科学的に見えてきます。以下に、免疫学および老年医学の観点から、そのメカニズムをわかりやすく解説します。
まず、花粉症が発症する基本的な仕組みを理解する必要があります。よく例えられるのが「コップと水」の話です。
私たちの体は、花粉(アレルゲン)が体内に入ると、それを異物と認識し、「IgE抗体」というタンパク質を作ります。これは本来、寄生虫などから身を守るための免疫システムですが、花粉に対して過剰に反応してしまうのが花粉症です。
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感作(かんさ):花粉を吸い込むたびに、体内でIgE抗体が作られ、免疫細胞(マスト細胞)の表面にくっつきます。この「準備完了」の状態を「感作」と呼びます。この時点ではまだ症状は出ません。
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発症:体内のIgE抗体の量が一定のレベル(コップの縁)を超え、そこに再び花粉が入ってくると、マスト細胞が爆発するように反応し、ヒスタミンなどの化学物質を放出します。これが鼻水、くしゃみ、目のかゆみとなります。
なぜ高齢になってからなのか?
この「コップに水が溜まる(感作が進む)」スピードには個人差があります。
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若い人:大量の花粉にさらされたり、遺伝的にアレルギー体質だったりすると、10代〜20代でコップが溢れます。
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高齢発症の人:コップが大きかった、あるいは溜まるスピードが非常にゆっくりだった人たちです。しかし、60年、70年という長い人生の中で毎年花粉を吸い込み続けた結果、ついに許容量を超え、発症に至ったと考えられます。これを「蓄積効果」と呼びます。
加齢による「バリア機能」の低下
「昔より体が弱くなった」と感じることがあるかもしれませんが、これは鼻の粘膜にも当てはまります。加齢に伴う身体的な変化が、花粉の侵入を許してしまう大きな要因となります。
鼻粘膜の菲薄化と乾燥
若く健康な鼻の粘膜は、湿り気があり、表面の細胞がしっかりと並んで「城壁」のような役割を果たしています。さらに、線毛という細かい毛がベルトコンベアのように動き、異物を喉の奥へと排出する機能を持っています。
しかし、加齢とともに以下の変化が起こります。
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粘膜が薄くなる:細胞の壁が薄くなり、隙間ができやすくなります。
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乾燥(ドライノーズ):粘液の分泌量が減り、鼻の中が乾きやすくなります。
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線毛運動の低下:異物を追い出す力が弱まります。
これらの変化により、防御壁(バリア)が脆弱になります。若い頃なら跳ね返せた花粉が、薄く乾いた粘膜を容易に通過し、奥にある免疫細胞に直接触れてしまうようになります。これが、高齢になってからの発症(または症状の悪化)を招く物理的な要因です。
「免疫老化」のパラドックス
一般的に、歳をとると免疫力は低下します。「免疫が落ちるなら、アレルギー反応も弱くなるのでは?」と思うかもしれません。実際、高齢者の総IgE値(アレルギー反応の主役)は、若年層に比べて低い傾向にあります。
しかし、ここで「免疫老化(Immunosenescence)」という現象が関わってきます。これは単に免疫が「弱くなる」だけでなく、「調節が効かなくなる(暴走しやすくなる)」ことを意味します。むかし暴走老人という言葉が流行りましたが、免疫でも暴走してしまうことがあります。
制御機能の不具合
免疫システムには、過剰な攻撃を抑える「制御性T細胞」というブレーキ役が存在します。加齢によりこのブレーキの効きが悪くなると、本来は無視すべき花粉などの微細な刺激に対しても、免疫システムが誤作動を起こし、炎症反応を引き起こしてしまうことがあります。
また、高齢者の体内では、慢性的な微弱炎症(Inflammaging)が続いていることが多く、これがアレルギー反応の敷居を下げ、発症しやすい土壌を作っているという研究報告もあります。
現代の環境要因:大気汚染物質との「相乗効果」
高齢発症が増えている背景には、個人の加齢変化だけでなく、私たちを取り巻く環境の変化も見逃せません。
アジュバント効果
ディーゼルエンジンの排気ガスに含まれる微粒子や、PM2.5などの大気汚染物質は、花粉と一緒に吸い込むことでアレルギー反応を増強させることが知られています。これを「アジュバント(増強)効果」と呼びます。
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花粉の凶悪化:大気汚染物質が花粉の表面を傷つけ、中のアレルギー物質(抗原)が飛び散りやすくなります。
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粘膜へのダメージ:汚染物質が鼻の粘膜を傷つけ、花粉が侵入しやすいルートを作ります。
都市部での生活が長い場合、数十年にわたってこれらの汚染物質と花粉を同時に吸入し続けてきたことになります。きれいな空気の中で過ごしていれば発症しなかったかもしれないレベルの感作でも、大気汚染物質という「着火剤」が加わることで、高齢になってから症状が爆発することがあるのです。
高齢者の花粉症における注意点(血管運動性鼻炎との混同)
最後に、医学的に重要な点として「花粉症ではない鼻炎」との区別について触れます。
高齢になると、自律神経の働きが乱れ、温度差(温かい部屋から寒い外に出た時など)だけで鼻水が出る「血管運動性鼻炎」が増加します。
「急に花粉症になった」と思って受診される高齢者の中には、実はアレルギーではなく、この自律神経性の鼻炎であるケースや、あるいは「アレルギー」と「血管運動性鼻炎」を合併しているケースが多々あります。
さらに、高齢者の鼻粘膜は乾燥しているため、一般的な花粉症薬(抗ヒスタミン薬)を使うと、副作用でさらに鼻や口が乾き、症状が悪化したり、唾液減少による誤嚥のリスクを高めたりすることがあります。
したがって、高齢になってから「花粉症かな?」と思った場合は、市販薬で自己判断せず、耳鼻咽喉科で正確な診断(アレルギー検査や鼻粘膜の確認)を受けることが、若い世代以上に重要となります。
参考文献
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Rhinitis in the Elderly, Pitsios C, et al. Immunology and Allergy Clinics of North America, 2016, DOI: 10.1016/j.iac.2015.12.010
要約: 高齢者の鼻炎に関する包括的レビュー。加齢に伴う鼻粘膜の生理的変化(萎縮・乾燥)や免疫老化(Immunosenescence)が病態に与える影響、診断の難しさについて詳述している。 -
Pharmacological Management of Allergic Rhinitis in the Elderly, Bozek A. Drugs & Aging, 2017, DOI: 10.1007/s40266-016-0425-7
要約: 高齢者のアレルギー性鼻炎治療に関するレビュー。高齢者特有の生理機能低下や多剤併用(ポリファーマシー)のリスクを考慮した、薬物療法の注意点と管理戦略を解説している。 -
Meteorological conditions, climate change, new emerging factors, and asthma and related allergic disorders, D’Amato G, et al. World Allergy Organization Journal, 2015, DOI: 10.1186/s40413-015-0073-0
要約: 世界アレルギー機構による声明。気候変動や大気汚染がアレルギー疾患の増加に与える影響を網羅し、環境因子がアレルゲンの抗原性を増強させるメカニズムを論じている。 -
The need for clean air: The way air pollution and climate change affect allergic rhinitis and asthma, Eguiluz-Gracia I, et al. Allergy, 2020, DOI: 10.1111/all.14177
要約: 大気汚染と気候変動が呼吸器アレルギーに及ぼす影響をまとめた論文。汚染物質が気道バリアを破壊し、アレルギー発症や悪化を引き起こす細胞レベルの機序を解説している。