2026年6月11日

はじめに
睡眠は、単に体を休めるだけでなく、脳と体をメンテナンスするための動的な生理現象です。睡眠は大きく分けて「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」という、性質の全く異なる2つの状態が交互に繰り返されて構成されています。これらはそれぞれ独自の役割を持っており、どちらが欠けても心身の健康を維持することはできません。本稿では、レム睡眠とノンレム睡眠の仕組みや特徴、それぞれの重要な役割について、科学的根拠に基づいて分かりやすく解説します。
ノンレム睡眠:脳と身体を深く休める休息のフェーズ
ノンレム睡眠(NREM睡眠)は、眠っている最中に眼球が動かない穏やかな睡眠状態を指します。入眠時に最初に訪れ、一晩の睡眠全体の約75%から80%を占めており、主に脳を休める役割を担っています。
ノンレム睡眠は眠りの深さに応じて3つの段階に分類されます。うとうとして簡単に目が覚める「ステージ1」、本格的な睡眠に入り、脳が外部からの刺激を遮断しようとする「ステージ2」、そして少々の物音では目が覚めない「ステージ3(深い睡眠・徐波睡眠)」です。
特にステージ3の深い睡眠は、身体の成長や組織の修復に不可欠です。この時間帯には脳の下垂体から「成長ホルモン」が大量に分泌され、日中に傷ついた筋肉や骨、皮膚などの組織を修復し、細胞の再生を促します。また、ノンレム睡眠中は脳のエネルギー消費量が大幅に低下するため、酷使された脳細胞を完全にクールダウンさせることができます。さらに、免疫システムを強化し、血糖値の代謝を正常にコントロールするためにも、この深いノンレム睡眠が欠かせないことが科学的に証明されています。
レム睡眠:体は眠り、脳は動く記憶と感情のフェーズ
一方、レム睡眠(REM睡眠)は、まぶたの下で眼球が左右上下にキョロキョロと激しく動いている睡眠状態を指し、一晩の睡眠の約20%から25%を占めています。
レム睡眠中の脳波は、目が覚めて活動しているときと非常に近い活発な波形を示します。脳のエネルギー消費量や血流量も、覚醒時と同等かそれ以上に高まっています。このように脳がフル回転している一方で、首から下の筋肉の緊張は完全に失われ、体は完全に脱力してぐったりとした状態になります。これは「アトニア」と呼ばれる現象です。脳が活発に活動して夢を見ている最中に、その夢の通りに体が勝手に動き出して怪我をしないよう、運動指令を一時的にカットする安全装置のような仕組みです。
脳が活動しているレム睡眠には、心の健康と脳の機能維持において特別な役割があります。日中に経験した出来事や新しく覚えた知識、身体的な技術は、レム睡眠中に脳内で再処理され、長期記憶として定着します。脳は必要な情報を選別して強固につなぎ合わせ、不要な情報を消去することで脳の容量を整理しているのです。さらに、ストーリー性のある鮮明な夢を見るのは主にこのレム睡眠の間です。レム睡眠中には感情を司る部位が活発になりますが、同時にストレスホルモンの分泌は抑えられています。これにより、恐怖や不安、怒りといった強い感情を伴う記憶から、その嫌な感情だけを洗い流し、記憶の本質だけを残す「感情の整理」が行われています。レム睡眠が著しく不足すると、メンタルのバランスが崩れ、不安やうつ傾向が強まることが分かっています。
一晩の睡眠サイクル:2つの睡眠が織りなすリズム
私たちの睡眠は、一晩の中でレム睡眠とノンレム睡眠がランダムに訪れるわけではありません。規則正しいサイクルに従って進行します。
眠りにつくとまず浅いノンレム睡眠に入り、徐々に深いノンレム睡眠へと沈み込んだ後、再び眠りが浅くなってレム睡眠へと移行します。このノンレム睡眠の始まりからレム睡眠の終わりまでのひと回りを「睡眠サイクル」と呼び、大体90分前後の周期で繰り返されます。一晩の間にこのサイクルが4回から5回ほど繰り返されるのが標準的です。
睡眠サイクルは、一晩の中でその時間ごとの構成割合が変化していきます。睡眠の前半(最初の3時間ほど)は、ノンレム睡眠のステージ3である深い睡眠が大きな割合を占めます。このタイミングで成長ホルモンの大半が分泌されるため、身体の疲労回復にとって非常に重要となります。
一方で、睡眠の後半(明け方に近づくにつれて)になると、深いノンレム睡眠はほとんど現れなくなり、代わりに浅いノンレム睡眠と、長くて濃厚なレム睡眠の時間が多くを占めるようになります。レム睡眠は明け方に集中して現れるため、睡眠時間が極端に短い生活(4〜5時間睡眠など)を続けていると、レム睡眠が大幅に削られてしまいます。その結果、記憶力が低下したり、感情の整理ができずに朝から強いストレスを感じたりする不調が生じるのです。
年齢による変化と現代社会の影響
このレム睡眠とノンレム睡眠のバランスは、年齢とともに大きく変化します。生まれたばかりの赤ちゃんは、睡眠時間の約半分がレム睡眠に似た活発な睡眠で占められており、未熟な脳の神経回路を発達させています。しかし、高齢期に入ると深いノンレム睡眠(ステージ3)の時間が著しく減少し、睡眠中に何度も目が覚めてしまう「中途覚醒」が増加します。高齢の方が「ぐっすり眠った気がしない」と感じるのは、この深い睡眠の減少という生理的な変化が背景にあります。
また、現代の生活環境における「夜間の人工光(ブルーライト)」も睡眠サイクルを脅かす要因です。就寝前にスマートフォンなどの画面から強い光を浴びると、脳はまだ昼間だと錯覚し、睡眠を促すホルモンである「メラトニン」の分泌を強力に抑制してしまいます。メラトニンの分泌が遅れると、睡眠の連続性が失われて夜中に何度も目が覚める原因になり、本来であれば明け方にたくさん現れるはずの重要なレム睡眠が十分に確保できなくなります。このような慢性的な睡眠サイクルの乱れは、日中の眠気や集中力の低下、さらには生活習慣病やメンタル疾患のリスクを高めることが証明されています。
まとめ
レム睡眠とノンレム睡眠は、それぞれが「動」と「静」の役割を分担しながら、心身を毎日リセットしてくれる精密なシステムです。脳と肉体を完全に休めて修復するノンレム睡眠と、脳を働かせて記憶を整理し、明日の心の活力を養うレム睡眠。この2つが約90分のサイクルの中で絶妙なバランスを保ち、適切に繰り返されることこそが、真の意味での「質の高い睡眠」を意味します。
どちらか一方だけを重視するのではない、一晩の睡眠サイクル全体を十分に完結させるために、毎日の睡眠時間をしっかりと確保すること、そして就寝前の光環境を整えて体内時計のリズムを守ることが、現代科学が推奨する最も効果的な健康へのアプローチです。
参考文献
1.Neurobiology of sleep (Review), Falup-Pecurariu C, et al. Exp Ther Med. 2021 Mar;21(3):272. DOI: 10.3892/etm.2021.9703
要約: 睡眠の神経生物学的な調整メカニズムに関するレビュー。ノンレム睡眠とレム睡眠という2つの異なるフェーズにおける脳内ネットワークや、セロトニン、GABAなどの様々な神経伝達物質による制御、視床下部や視床などの各脳領域の役割を統合的に解説した文献。
2.Functional roles of REM sleep, Mukai Y, Yamanaka A. Neurosci Res. 2023 Apr;189:44-53. DOI: 10.1016/j.neures.2022.12.009
要約: レム睡眠の多様な機能的役割に関するレビュー。レム睡眠最大の特徴である特徴的な脳活動や筋緊張低下が身体全体に及ぼす影響を解説。特に記憶機能における脳活動の重要性、精神・心理的機能、脳の発達におけるレム睡眠の寄与について、動物モデル等の知見を交えて体系的に論じた文献。
3.REM Sleep: An Unknown Indicator of Sleep Quality, Barbato G. Int J Environ Res Public Health. 2021 Dec 9;18(24):12976. DOI: 10.3390/ijerph182412976
要約: 睡眠の質におけるレム睡眠の重要性を論じたレビュー。レム睡眠が体内時計により制御され、睡眠期間の終了を定義して意識への復帰を準備する役割を持つことを説明。夜間の人工光による体内時計の遅れがレム睡眠を減少させ、睡眠の継続性や翌朝の覚醒度を低下させるリスクを明示した文献。
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千里丘かがやきクリニック
有光潤介