2026年1月16日
はじめに
インスリン抵抗性とは、膵臓から分泌されるホルモンである「インスリン」が血液中には十分にあるにもかかわらず、その効き目が悪くなっている状態を指します。
一般的に、インスリンは「血糖値を下げるホルモン」として知られていますが、より正確には「血液中のブドウ糖を細胞の中に取り込ませ、エネルギーとして利用したり、蓄えたりするスイッチ」の役割を果たしています。
正常な状態では、食事をして血糖値が上がると、膵臓からインスリンが分泌され、細胞のドアを開けてブドウ糖を取り込みます。しかし、インスリン抵抗性が生じると、このドアが錆びついたように開きにくくなります。その結果、細胞はブドウ糖をうまく取り込めず、血液中に糖が溢れてしまいます(高血糖)。
体はなんとか血糖値を下げようとして、さらに多くのインスリンを分泌しようと無理をします(高インスリン血症)。この悪循環が続くと、やがて膵臓が疲弊し、2型糖尿病や動脈硬化などの深刻な病気を引き起こす原因となります。
なぜインスリン抵抗性が起こるのか:細胞レベルのメカニズム
インスリン抵抗性の発生には、主に「受容体」と「細胞内シグナル伝達」の不具合が関わっています。
インスリン受容体の働きの低下
細胞の表面には、インスリンをキャッチする「インスリン受容体」という受け皿があります。通常、ここにインスリンが結合すると、細胞内部へ「糖を取り込め」という信号が送られます。しかし、肥満や運動不足などの環境下では、この受容体の数が減ったり、結合する力が弱まったりすることが分かっています。
細胞内シグナル伝達の阻害(最も主要な原因)
現代医学で最も重要視されているのが、受容体の先にある「細胞内の信号トラブル」です。
インスリンが受容体に結合した後、細胞内ではインスリン受容体基質(IRS: Insulin Receptor Substrate)というタンパク質などを介してリレーのように信号が伝わり、最終的にGLUT4(グルコーストランスポーター4)という「糖の運び屋」が細胞表面に移動して糖を取り込みます。
しかし、内臓脂肪が蓄積すると、脂肪細胞から「遊離脂肪酸」や「炎症性サイトカイン(TNF-αなど)」という悪玉物質が大量に放出されます。これらが細胞内の信号リレーを邪魔してしまい、どれだけインスリンがドアをノックしても、GLUT4が反応しなくなるのです。これがインスリン抵抗性の正体です。
インスリン抵抗性の主な原因
以下の要因が強く関連していることが明らかになっています。
内臓脂肪型肥満
最も大きな原因です。かつて脂肪組織は単なるエネルギーの貯蔵庫と考えられていましたが、現在は「巨大な内分泌器官」であることが分かっています。内臓脂肪が肥大化すると、アディポネクチンという「インスリンの効きを良くし、血管を守る善玉ホルモン」の分泌が減り、逆にTNF-αやインターロイキン6といった「炎症を引き起こし、インスリンの効きを悪くする悪玉物質」が増加します。
運動不足
人体で最も多くの糖を消費するのは筋肉です。筋肉を使わない生活が続くと、筋肉内のGLUT4の働きが鈍り、糖を取り込む能力が低下します。逆に、運動を行うとインスリンとは別の経路でGLUT4が活性化し、血糖値が下がることが分かっています。
食事内容(糖質と脂質の過剰摂取)
高脂肪食、特に飽和脂肪酸の過剰摂取は、細胞膜の性質を変えたり、細胞内でセラミドなどの代謝産物を蓄積させたりして、インスリンシグナルをブロックします。また、果糖(フルクトース)の過剰摂取も肝臓での脂肪合成を促し、脂肪肝を通じて全身のインスリン抵抗性を悪化させます。
遺伝的要因
日本人は欧米人に比べ、軽度の肥満でもインスリン抵抗性を起こしやすい体質を持っています。これは、皮下脂肪に脂肪を溜め込む能力が低く、すぐに内臓脂肪や異所性脂肪(肝臓や筋肉など、本来つくべきでない場所につく脂肪)として蓄積してしまうためと考えられています。
加齢と酸化ストレス
加齢に伴い、細胞内のミトコンドリアの機能が低下すると、活性酸素が発生しやすくなります。この酸化ストレスがインスリンの信号伝達を阻害します。
インスリン抵抗性が引き起こす健康リスク
インスリン抵抗性を放置することは、単に血糖値が高くなるだけでなく、全身の老化や疾患のトリガーとなります。
2型糖尿病の発症
膵臓がインスリンを出し続けて疲弊し、最終的に枯渇すると糖尿病を発症します。
動脈硬化の進行
高インスリン血症そのものが血管の内皮細胞を傷つけ、血管を硬く狭くします。また、血管を広げる物質(NO:一酸化窒素)の産生が減り、高血圧の原因にもなります。
脂質異常症
インスリンの効きが悪いと、脂肪細胞での脂肪分解にブレーキがかからず、血液中に遊離脂肪酸があふれます。これが肝臓へ流れ込み、中性脂肪の合成を促進させます。同時に善玉コレステロール(HDL)を減らす作用もあります。
脂肪肝(NAFLD/MASLD)
肝臓自体がインスリン抵抗性を持ち、脂肪を溜め込みやすくなります。進行すると肝硬変や肝がんのリスクとなります。
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)
女性の場合、インスリン抵抗性が卵巣での男性ホルモン産生を促し、排卵障害や月経不順の原因となることが多くのエビデンスで示されています。
認知症リスク
脳もブドウ糖をエネルギー源としていますが、脳内でインスリン抵抗性が起きると神経細胞がエネルギー不足に陥ります。アルツハイマー型認知症は「3型糖尿病」と呼ばれることもあり、インスリン抵抗性との強い関連が研究されています。
診断と評価方法
病院での検査では、以下の指標が用いられます。
- HOMA-IR
空腹時の血糖値とインスリン値を基に計算します。
計算式:空腹時血糖値 × 空腹時インスリン値 ÷ 405
日本人の場合、この数値が1.73以上でインスリン抵抗性の疑いあり、2.5以上で抵抗性ありと判定されることが一般的です。
改善のための科学的アプローチ
インスリン抵抗性は可逆的であり、生活習慣の修正によって劇的に改善することが可能です。
体重の適正化(内臓脂肪の減少)
現体重の5パーセントから10パーセントを減らすだけで、内臓脂肪が減少し、アディポネクチン(善玉ホルモン)の分泌が回復してインスリン抵抗性が改善することが多くの研究で実証されています。特にBMI25以上の場合は、減量が最も効果的な治療です。
有酸素運動とレジスタンス運動の組み合わせ
- 有酸素運動(ウォーキングなど):脂肪を燃焼させ、内臓脂肪を減らします。
- レジスタンス運動(筋トレ):筋肉量を増やし、糖の貯蔵庫を大きくします。また、筋肉を収縮させること自体が、インスリンなしでGLUT4を細胞表面に呼び寄せ、血糖値を下げる効果があります。
これらを組み合わせることが最も効果的です。
食事療法の最適化
- 食物繊維の摂取:野菜、海藻、キノコ類などに含まれる水溶性食物繊維は、糖の吸収を穏やかにし、食後高血糖を防ぎます。
- 精製糖質の制限:砂糖や果糖ブドウ糖液糖を含む清涼飲料水は、急激な血糖上昇と中性脂肪の合成を招くため避けるべきです。
- 食べる順番:野菜を先に食べる(ベジファースト)ことで、インスリンの過剰分泌を抑えることができます。
睡眠とストレスケア
睡眠不足や慢性的なストレスは、コルチゾールやアドレナリンといった拮抗ホルモン(インスリンの働きを邪魔するホルモン)を分泌させます。7時間程度の質の良い睡眠を確保することは、代謝改善に不可欠です。
まとめ
インスリン抵抗性は、体がエネルギーをうまく処理できなくなっている「代謝のSOSサイン」です。自覚症状がほとんどないまま進行し、糖尿病や心血管疾患といった重大な病気の土台となります。
しかし、その主な原因が内臓脂肪や筋肉の不活性化にあるということは、裏を返せば「自らの行動で改善できる病態」であるとも言えます。
薬物療法が必要な場合もありますが、基本となるのは「内臓脂肪を減らす食事」と「筋肉を使う運動」です。これらを習慣化することで、錆びついた細胞のドアを再びスムーズに開くことができるようになります。
大阪府吹田市長野東19番6号
千里丘かがやきクリニック
院長 有光潤介