2026年4月15日

吸入ステロイド薬(ICS)は、喘息や慢性閉塞性肺疾患(COPD)の治療において気道の炎症を抑える非常に重要な薬です。しかし、これまでの多くの科学的な研究から、一部の吸入ステロイド薬を長期間使用することで、肺に細菌が繁殖しやすくなり「肺炎」の発症リスクが高まることが明らかになっています。
注意が必要なのは、「すべての吸入ステロイド薬が同じように肺炎リスクを上げるわけではない」ということです。薬の成分によって、肺炎リスクが上昇しやすいものと、比較的安全に使用できるもの(リスクの上昇が極めて少ないもの)が存在します。
肺炎リスクが増加しやすい吸入ステロイド薬
現在、世界中の複数の大規模な観察研究や、過去の研究データを統合して分析するメタ解析によって、他の成分よりも「有意に肺炎の発症リスクを高める」と指摘されている代表的な成分は「フルチカゾン」です。
フルチカゾンを含む吸入薬は、単体で使用する場合でも、気管支拡張薬と組み合わせて使用する場合でも、肺炎にかかるリスクを高めることが一貫して報告されています。研究にもよりますが、他の吸入ステロイド薬を使用している患者さんと比較して、肺炎の発症リスクが約13パーセントから70パーセント以上高まることがデータとして示されています。
さらに、肺炎にかかりやすくなるだけでなく、肺炎が重症化して入院が必要になるリスクや、肺炎に関連する死亡リスクも高まる傾向があることがわかっています。特に、薬の用量が多い(高用量)場合や、長期間にわたって休まずに使用を続けている場合に、このリスクの上昇が顕著に現れます。
肺炎リスクが低く、比較的安全な吸入ステロイド薬
一方で、長期間使用しても肺炎のリスクをほとんど上げない、あるいはフルチカゾンと比較して有意に安全性が高いと証明されている成分もあります。
・ブデソニド
・ベクロメタゾン
・シクレソニド
この中でも特にデータが豊富で、安全性が高く評価されているのが「ブデソニド」です。妊婦さんの喘息治療薬としても有名です。スウェーデンで行われた「PATHOS研究」と呼ばれる極めて信頼性の高い大規模な調査研究では、ブデソニドを使用している患者さんは、フルチカゾンを使用している患者さんに比べて、肺炎の発症率や肺炎による入院率が明らかに低いことが証明されています。
また、ブデソニドを低用量から中用量で使用している範囲であれば、吸入ステロイド薬を全く使用していない人と比較しても、肺炎リスクは実質的に増加しないというデータも示されています。そのため、肺炎リスクに配慮する必要がある患者さんには、ブデソニドなどの安全性の高い成分が推奨される傾向にあります。
なぜ薬によって肺炎リスクに違いが出るのか?
同じ「吸入ステロイド薬」という分類の薬なのに、なぜ肺炎リスクにこれほどの違いが生じるのでしょうか。その主な理由は、それぞれの薬が持つ「脂への溶けやすさ(脂溶性)」と「水への溶けやすさ(水溶性)」の違い、そして気道内に長期間とどまるかどうかの違いにあります。
フルチカゾンは、薬の性質として非常に「脂溶性が高い(脂に溶けやすい)」という特徴を持っています。気道の粘膜や細胞は脂質の膜でできているため、フルチカゾンは細胞の組織にしっかりと結びつき、気道内に長期間にわたってとどまり続けます。これは、喘息やCOPDの慢性的な炎症を強力に抑え込む上では非常に優れた長所です。しかし同時に、「肺の局所の免疫システムを長期間にわたって強く抑え込みすぎてしまう」という短所にもなります。私たちの肺には、外から入り込んだ細菌を食べるマクロファージなどの免疫細胞がパトロールをしていますが、フルチカゾンが長期間とどまることでこの免疫細胞の働きが低下し、細菌が肺の中で繁殖しやすくなり、結果として肺炎につながると考えられています。
これに対して、ブデソニドなどの成分は、フルチカゾンに比べると「水溶性が高い(水に溶けやすい)」性質を持ちます。気道の粘液に素早く溶けて速やかに炎症を抑える効果を発揮したあと、組織に長期間とどまることなく比較的早く血流に乗って全身に運ばれ、肝臓で分解されて体外へ排出されます。つまり、気道の組織内に薬の成分が蓄積しにくいため、肺局所の免疫防御システムを過度に長期間抑制することがなく、細菌の増殖を許しにくい(=肺炎リスクが低い)というメカニズムになっています。
喘息とCOPDにおけるリスクの違い
吸入ステロイド薬による肺炎リスクは、持っている病気の種類によっても影響の大きさが異なります。
喘息は主にアレルギーを原因とする気道の炎症であり、喘息患者さんにおいては吸入ステロイド薬による肺炎リスクの上昇はそこまで極端ではないと考えられています。しかし、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の患者さんは、長年の喫煙などが原因で肺の組織そのものが破壊されており、肺の防御機能が元々低下しています。
そこに加齢の影響も加わり、COPDの患者さんがフルチカゾンなどの免疫抑制作用の強い吸入ステロイド薬を使用すると、細菌性肺炎の引き金に非常になりやすいという背景があります。したがって、特にCOPDの患者さんにおいては、薬剤間の肺炎リスクの違いを考慮した薬の選択が非常に重要になります。
患者さんへの最も重要な注意点とアドバイス
この記事を読んで肺炎リスクに不安を感じたとしても、「絶対に自己判断で今使っている吸入薬の使用を中止しないでください」。
吸入ステロイド薬を急にやめてしまうと、抑え込まれていた気道の炎症が再び悪化し、喘息の重積発作やCOPDの急性増悪を引き起こす危険性が非常に高くなります。これらの発作は深刻な呼吸困難を引き起こし、肺炎以上に直ちに命に関わる重大な事態を招く可能性があります。
強調しておきたいのですが、吸入ステロイド薬を使わないことによるデメリットのほうが、使用することによるメリットを上回ることはありません。
現在フルチカゾンなどの薬を使用しており、ご自身の肺炎リスクについて不安を感じた場合は、次回の診察時に必ず主治医にご相談ください。「年齢」「肺の機能の低下度合い」「過去の肺炎の経験」「血液中の好酸球(アレルギーの数値)の量」など、患者さん一人ひとりの状態を総合的に評価した上で、ブデソニドなどのよりリスクの低い薬への変更が可能かどうか、あるいは薬の用量を減らすことができるかなどを、専門医が安全に判断してくれます。
参考文献
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Pneumonia and pneumonia related mortality in patients with COPD treated with fixed combinations of inhaled corticosteroid and long acting β2 agonist: observational matched cohort study (PATHOS), Janson C, et al., The BMJ, 2013年5月29日, DOI: 10.1136/bmj.f3306
要約: COPD患者を対象にブデソニドとフルチカゾンの肺炎リスクを直接比較した大規模観察研究。フルチカゾン群はブデソニド群に比べ肺炎発症率が73パーセント高く、入院や死亡リスクも有意に高いことを実証した重要論文。 -
Intraclass Difference in Pneumonia Risk with Fluticasone and Budesonide in COPD: A Systematic Review of Evidence from Direct-Comparison Studies, Lodise TP, et al., International Journal of Chronic Obstructive Pulmonary Disease, 2020年11月11日, DDOI: 10.2147/COPD.S26963要約: COPDにおける吸入ステロイドの肺炎リスクを評価したメタ解析。約5万7千人のデータから、フルチカゾンはブデソニドに比べて肺炎リスクが13.5パーセント増加することを示し、薬剤間の安全性の差異を結論付けた。
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Inhaled corticosteroids in COPD and the risk of serious pneumonia, Suissa S, et al., Thorax, 2013年10月18日, DOI: 10.1136/thoraxjnl-2012-202872
要約: 約16万人のCOPD患者を追跡したコホート研究。吸入ステロイドによる重症肺炎リスクの上昇を確認し、フルチカゾンでは用量依存的な強いリスク上昇が見られる一方、ブデソニドではその影響が限定的であることを解明した。
大阪府吹田市長野東19番6号
千里丘かがやきクリニック
有光潤介