2026年6月15日

アナフィラキシーショックに対する新しい緊急補助治療薬として、アドレナリン点鼻薬「ネフィー(neffy)」が日本国内でも承認され、2026年2月より処方可能となり、アレルギー治療における新たな選択肢が大きく広がりました。これまで、重篤なアレルギー反応(アナフィラキシー)が起きた際の自己投与薬としては「エピペン」が唯一の選択肢であり、数多くの命を救ってきました。しかし、いざという緊迫した状況下で「太ももに太い針を突き刺す」行為は非常に心理的ハードルが高く、使用をためらって投与が遅れてしまうケースが国内外で大きな課題でした。
ネフィーの登場は、この「投与のためらい」という最大の課題を解決する画期的な出来事です。
当院でも、アナフィラキシーショックを起こしてエピペンを持っているけど、注射が怖くて打ったことがないという患者さんは時々いらっしゃいます。
今回は、従来の筋肉内注射薬であるエピペンと点鼻薬ネフィーの違いについて解説します。
投与経路と「針」の有無による心理的負担の違い
エピペンとネフィーの最大の相違点は、薬を体内に届ける投与経路と「針の有無」です。
エピペンは、太ももの前外側にペン型の機器を強く押し当てることで自動的に針が飛び出し、筋肉の深部に薬液を注入する筋肉内注射薬です。確実な投与が可能ですが、痛みを伴うため、小さなお子様が携帯や使用を強く拒絶することがありました。また、介助する大人であっても「針を刺す」ことへの恐怖感や誤射への不安が伴います。
一方、ネフィーは鼻の穴にスプレーの先端を挿入し、プッシュして薬液を噴霧するだけの点鼻薬です。針を一切使用しない完全な非侵襲的アプローチであるため、患者本人の痛みや恐怖心が大きく軽減されるだけでなく、介助する側が感じる「他者の身体に針を刺す」という心理的抵抗感も劇的に下がります。
薬の吸収メカニズムと医学的に実証された同等の効果
「鼻にスプレーするだけで、本当に注射と同じように素早く効くのか」という疑問を持つ方は多いでしょう。結論から言えば、ネフィーはエピペンと同等、あるいはそれ以上の安定した効果を発揮することが、厳密な臨床試験により医学的に証明されています。
人間の鼻粘膜には毛細血管が豊富ですが、通常アドレナリンのような分子は粘膜から吸収されにくい性質があります。ネフィーはこれを克服するため、「Intravail」という特殊な吸収促進剤を配合しています。この成分が鼻粘膜の細胞間の結合を一時的に緩めることで、アドレナリンが速やかに毛細血管内へと移行します。
米国の臨床試験では、ネフィー点鼻後の血中アドレナリン濃度を測定したところ、エピペンの筋肉内注射と同等のスピードで濃度が上昇し、最高血中濃度に達するまでの時間もほぼ同じであることが確認されました。さらに、ネフィーの方が高い血中濃度をより長時間維持できるデータも示されています。血圧上昇や心拍数増加など、症状を抑えるための身体的反応(薬力学的効果)についても両者に有意差はなく、針を使わなくてもエピペンに匹敵する救命効果が期待できます。
携帯性、保管条件、および有効期限の違い
緊急時にいつでも使えるようにするための携帯性と管理のしやすさにおいても違いがあります。
エピペンはある程度の長さと太さがあり、専用ケースに入れて持ち歩く必要があります。また、温度変化にデリケートで直射日光や高温を避ける必要があり、有効期限は処方後およそ1年程度と短く、毎年の更新が必須です。
対照的にネフィーは、手のひらに収まるほど非常にコンパクトかつ軽量です。かさばらないためポケットやポーチにも簡単に入り、常に持ち歩く負担が大きく軽減されます。さらに薬液の安定性が高く、有効期限が最大24ヶ月(2年)と長いため、交換頻度や管理の手間が省ける点も日常生活における大きな利点です。
第三者による代行投与のしやすさ
アナフィラキシーは突然発症するため、本人が意識を失うなどして自分で薬を使用できず、学校の教員や保育士など周囲の第三者が速やかに代行投与を行う場面が多々あります。
エピペンの場合、教職員等が代行投与してよいというガイドラインがあるものの、医療従事者ではない一般の教職員が「他人の子どもに針を刺す」行為を実行するには多大なプレッシャーが伴います。
ネフィーの登場はこうした現場の重圧を大きく解放します。「鼻にワンプッシュするだけ」という日常的な動作に近い操作で済むためです。行政当局からも、ネフィーはエピペンと同様に教職員や保育士が代行投与できる旨の通達が出されており、現場の心理的負担の軽減と、躊躇による投与遅延の防止が強く期待されています。
使用時の注意点と副作用
どちらの薬も主成分はアドレナリンであるため、動悸、手の震え、不安感、頭痛といった共通の副作用があります。
これに加え、投与部位に由来する特有の注意点があります。エピペンは注射部位の強い痛みや、誤った使い方により介助者の指に針を刺してしまう事故リスクがあります。ネフィーの場合は、鼻の不快感、鼻水、喉の乾燥や刺激感といった局所的な症状が報告されています。
ネフィー特有の懸念である「重度の鼻づまりやアレルギー性鼻炎がある状態でも吸収されるのか」については臨床試験で検証されており、鼻炎症状があっても薬の吸収量や効果に大きな影響はないことが確認されています。ただし、ポリープ等で物理的に鼻腔が完全に塞がっている極端なケースでは十分な効果が得られない可能性があるため主治医との相談が必要です。また、万が一1回目の投与で症状が改善しない場合はエピペン同様に5分以上間隔をあけて2回目の投与を行う必要があるため、常に2本携帯することが推奨されています。とはいえ、1本が24,672円もする高い薬剤ですので、いつ使うかも分からない高価な薬剤を2本持ち歩くのは現実的ではありません。アナフィラキシーショックを起こした時は、すぐに1本目使用して救急車を呼ぶことを勧めします。
まとめ
エピペンとネフィーは、どちらかが一方的に優れているというものではなく、患者さんのライフスタイル、年齢、注射への恐怖心に合わせて選べる並び立つ強力な選択肢です。注射の恐怖から薬を持ち歩くのをやめてしまったり、いざという時に打てなかったりした患者さんにとって、針のないネフィーは命を守るための大きな希望となります。最も重要なのは「アナフィラキシーを疑った際に、躊躇することなく一刻も早くアドレナリンを投与すること」です。ご自身の状況に合わせ、最適な治療薬を主治医とよく相談して決定してください。
参考文献
1.Development of neffy, an Epinephrine Nasal Spray, for Severe Allergic Reactions, Ellis AK, et al. Pharmaceutics . 2024 Jun 4;16(6):811. DOI: 10.3390/pharmaceutics16060811
要約: アナフィラキシー治療のための針なしアドレナリン点鼻薬ネフィーの開発経緯と複数条件下の臨床試験結果を網羅的にまとめた論文。吸収促進剤の働きにより注射薬と同等の薬物動態および薬力学的効果を持ち、安全で有効な代替手段となることを実証している。
2.Pharmacokinetic and Pharmacodynamic Profile of Epinephrine Nasal Spray Versus Intramuscular Epinephrine Autoinjector in Healthy Adults, Greenhawt M, et al. The Journal of Allergy and Clinical Immunology: In Practice . 2024 Oct;12(10):3274-3282.e2. DOI: 10.1016/j.jaip.2024.10.006
要約: 健康な成人を対象に、点鼻薬ネフィーと筋肉内注射薬エピペンの血中濃度や心拍数への影響を比較したクロスオーバー臨床試験。点鼻薬が注射薬と同等以上に迅速かつ持続的なアドレナリン血中濃度の上昇をもたらすことを明確に示唆した極めて重要な文献。
3.Pharmacokinetics and Pharmacodynamics of neffy, Epinephrine Nasal Spray, in Pediatric Patients, Fleischer DM, et al. The Journal of Allergy and Clinical Immunology: In Practice . 2025 Mar. DOI: 10.1016/j.jaip.2025.03.019
要約: 実際の小児患者を対象に、体重別の投与量によるネフィーの薬物動態と薬力学を評価した第1相臨床試験。小児に対しても成人同様に安全かつ有効な血中アドレナリン濃度を達成し、針を過度に怖がる子どもにとって点鼻薬が信頼できる有用な選択肢になることを裏付けた。
大阪府吹田市長野東19番6号
千里丘かがやきクリニック
院長 有光潤介(日本アレルギー学会専門医)