2026年6月16日

はじめに
イネ科の花粉症(カモガヤ、オオアワガエリ、ハルガヤなど)は、春の終わりから夏(5月〜7月頃)にかけて花粉が飛散し、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみなどのつらい症状を引き起こします。スギ花粉の飛散が終わった直後から始まるため、長期間にわたって花粉症の症状に悩まされる方も少なくありません。
現在、日本国内ではスギ花粉やダニアレルギーに対する「舌下免疫療法」が保険適用となっており、根本的な体質改善が期待できる治療として広く普及しています。しかし、イネ科の花粉症に対する舌下免疫療法は、現在日本ではまだ治験の段階であり、一般のクリニックで処方を受けることができません。
とはいえ、世界に目を向けると、イネ科花粉症に対する舌下免疫療法はすでに確立された治療法です。ここでは、イネ科舌下免疫療法のメカニズムや効果、海外での現状、そして日本国内で進められている最新の治験状況について解説します。
舌下免疫療法の仕組みと特徴
アレルギー治療には、症状を一時的に抑える対症療法(抗ヒスタミン薬など)と、体質そのものを改善するアレルゲン免疫療法があります。舌下免疫療法は後者にあたります。
治療の基本的な手順
イネ科の花粉成分(アレルゲンエキス)を含んだ溶けやすい錠剤を、1日1回、舌の下に置きます。舌の下の粘膜は非常に薄く、お薬の成分が速やかに溶け込みます。お薬が完全に溶けるまで1分間ほどそのままの状態で保持し、その後に飲み込みます。服用後5分間は飲食やうがいを避けます。これを通常3年から5年という長期間にわたって毎日継続します。
体の中で起こる免疫のシフト(免疫寛容)
アレルギーを持つ人の体は、花粉を「外敵」と見なして過剰に攻撃し、その結果としてヒスタミンなどの物質が放出されて炎症(鼻水やかゆみ)が起こります。
舌の下には樹状細胞と呼ばれる免疫の司令塔のような細胞が多く存在しています。舌下免疫療法によって毎日少しずつ原因物質を免疫細胞に触れさせることで、「これは危険な外敵ではない」と体に学習させます。専門的には、アレルギーを引き起こす細胞の働きを抑え、炎症を鎮める制御性T細胞を増やすことで、アレルギー反応の元となるIgE抗体の生産を抑え込みます。このように、免疫を根本から慣れさせる現象を「免疫寛容」と呼びます。
治療のメリットと安全性
かつての免疫療法は、皮下に注射を打つ治療が主流であり、痛みを伴う上に頻繁な通院が必要でした。舌下免疫療法は、初回こそ医療機関での服用が必要ですが、翌日からは自宅で安全に服用できるため、通院の負担が劇的に減ります。重篤な副作用(アナフィラキシーなど)のリスクも注射に比べて低く、安全性が高いことが特徴です。初期に口の中のかゆみや腫れといった軽い副作用が出ることがありますが、多くは継続するうちに軽減します。
海外で普及しているイネ科の舌下免疫療法
海外(特にヨーロッパや北米)では、イネ科の花粉はスギ花粉以上に主要なアレルギー原因となっています。そのため、イネ科花粉を対象とした舌下免疫療法薬(代表的な製品名:Grazaxなど)が2006年頃から承認されており、すでに一般的な治療として定着しています。
大規模な臨床試験により、花粉飛散期の鼻炎および結膜炎の症状スコアをプラセボ(偽薬)群と比較して約30%軽減し、アレルギー治療薬の使用量を約38%減少させる効果が確認されています。
また、この治療の最大の利点は「治療終了後も効果が持続する」という点にあります。イネ科舌下免疫療法を3年間継続して行った患者を、治療終了後さらに2年間追跡調査した研究では、治療を終えてお薬を飲んでいない期間でも、症状の緩和効果(疾患修飾効果)が明確に維持されていることが証明されています。
日本におけるイネ科舌下免疫療法の治験状況(2026年5月現在の最新情報)
先述の通り、現在日本ではイネ科花粉症に対する舌下免疫療法薬はまだ販売されていませんが、実用化に向けた大きな進展があります。
日本国内でスギ花粉やダニの舌下免疫療法薬を展開している鳥居薬品が、2023年12月にデンマークの製薬企業(ALK社)とライセンス契約を締結しました。これにより、海外で長年の実績があるイネ科舌下免疫療法薬の日本国内における独占的開発権を取得しました。
この契約に基づき、日本人のイネ科花粉症患者を対象とした国内での「治験(新しい医薬品として厚生労働省に承認してもらうための臨床試験)」がスタートしました。2025年6月頃から全国の複数の耳鼻咽喉科クリニックや病院にて治験参加者の募集と投薬が開始され、2026年現在も有効性や日本人の体質に対する安全性を確認するためのデータ収集が継続して行われています。
今後の展望として、この治験で良好なデータが得られ、国の審査を無事に通過すれば、数年以内には日本の一般的な医療機関でもイネ科花粉症の舌下免疫療法が保険適用で受けられるようになると期待されています。
まとめ
イネ科の花粉症に対する舌下免疫療法は、一時的に症状を抑え込むだけでなく、長期間の継続によりアレルギー体質そのものを改善できる画期的な治療法です。高い有効性と安全性が証明されており、日本でも現在進行中の治験を経て、近い将来、毎年夏のつらい症状に悩む多くの患者さんを救う新たな治療の選択肢となることが確実視されています。
参考文献
- Molecular allergology user’s guide, Matricardi PM, et al. Pediatric Allergy and Immunology, 2016, DOI: 10.1111/pai.12563
要約: アレルギー分子診断のガイドライン。粗抽出エキス(HD1/HD2等)とコンポーネント(Der p 1等)の関係を体系化し、ハウスダスト感作の主因がダニ主要抗原であることを分子レベルで解説した重要文献。 - Efficacy and safety of sublingual immunotherapy with grass allergen tablets for seasonal allergic rhinoconjunctivitis, Dahl R, et al. Journal of Allergy and Clinical Immunology, 2006, DOI: 10.1016/j.jaci.2006.05.003
要約: 欧州で普及しているイネ科花粉アレルゲン舌下錠(Grazax)の有効性と安全性を評価した大規模二重盲検比較試験。プラセボ群と比較して鼻炎・結膜炎の症状や治療薬の使用量が有意に減少することを実証した。 - SQ-standardized sublingual grass immunotherapy: confirmation of disease modification 2 years after 3 years of treatment in a randomized trial, Durham SR, et al. Journal of Allergy and Clinical Immunology, 2012, DOI: 10.1016/j.jaci.2011.12.973
要約: イネ科舌下免疫療法薬を3年間投与し、終了後2年間の追跡調査を行った臨床試験。治療期間中だけでなく、治療終了後も長期にわたり症状改善効果(疾患修飾効果)が持続することを証明した画期的な論文。 - イネ科花粉症に対するアレルゲン免疫療法(舌下免疫療法)薬 GRAZAXの日本国内におけるライセンス契約締結に関するお知らせ, 鳥居薬品株式会社, プレスリリース, 2023年12月13日, URL: https://www.torii.co.jp/release/2023/20231213_1.pdf
要約: 鳥居薬品がデンマークのALK社と契約を締結し、欧米で実績のあるイネ科花粉症向け舌下免疫療法薬を日本国内で独占的に開発・商業化する権利を取得したことを発表した公式リリース。これにより国内治験が開始された。
大阪府吹田市長野東19番6号
千里丘かがやきクリニック
有光潤介(日本アレルギー学会専門医)