2026年7月15日

「肺にも善玉菌・悪玉菌がいる!喘息とCOPDを左右する『肺マイクロバイオーム』の最新知見」
はじめに:肺にも「細菌の住まい」があった/
「健康な人の肺や気管支は無菌である」——これは長らく医学の常識でした。
ところが近年、遺伝子解析技術が飛躍的に進歩したことで、腸と同じように、気管から肺にかけての空気の通り道(下気道)にも無数の細菌が住みついていることがわかってきました。この細菌の集まりを「下気道細菌叢」、あるいは「肺マイクロバイオーム」と呼びます。
健康なときは、これらの細菌が免疫システムとうまく連携し、外から来る病原菌の侵入を防いだり、行き過ぎた炎症を抑えたりしています。しかし何らかの理由でこの細菌バランスが崩れると(この状態を「ディスバイオシス」といいます)、呼吸器の病気を引き起こしたり、症状を悪化させたりする土台になることが見えてきました。
ここでは、代表的な呼吸器疾患である喘息とCOPD(慢性閉塞性肺疾患)を取り上げ、下気道の細菌叢がそれぞれどう変化し、病気とどう関わっているのかを比べていきます。
喘息の下気道細菌叢:子どもの頃の環境がカギ
喘息は、気道に慢性的な炎症が起こり、ダニやホコリ、ストレスなどわずかな刺激で気管支が狭くなって呼吸が苦しくなる病気です。喘息患者の下気道細菌叢には、次のような特徴があります。
発症リスクは乳幼児期に決まりやすい
喘息にまつわる細菌叢の乱れは、人生のごく早い時期から始まっています。人の免疫システムは、幼少期にさまざまな細菌と触れ合うことで正しく育ちます。ところが乳幼児期の下気道に、ナイセリア属・モラクセラ属・ヘモフィルス属といった特定の細菌が過剰に住みつくと、その後の喘息発症リスクが大きく高まることがわかっています。気道の細菌が免疫系に誤った「アレルギーのサイン」を送り続けることが、喘息になりやすい体質をつくる一因と考えられています。
細菌の種類が減り、特定のタイプに偏る
健康な人の気道には、多様な細菌がバランスよく共生しています。ところが喘息患者の気道では、この細菌の多様性が全体的に低下しています。多様性が失われると、特定の細菌だけが増えやすくなります。
喘息には、アレルギーが主な原因のタイプ(好酸球性喘息)と、そうでないタイプ(好中球性喘息)があります。とくに吸入ステロイド薬が効きにくいとされる後者の重症喘息では、下気道に病原性の高い「ヘモフィルス(インフルエンザ菌の仲間)」などが多く定着しています。これらの細菌がもたらす炎症はステロイドで抑えにくく、治療が難しい喘息の大きな壁になっています。
腸の状態も肺に影響する(腸肺相関)
最近の研究では、肺の細菌叢だけでなく「腸内細菌叢」も喘息に深く関わっていることがわかってきました。これを「腸肺相関」と呼びます。腸内の善玉菌がつくる短鎖脂肪酸などの物質は血液に乗って肺まで届き、肺の炎症を鎮める働きをします。喘息患者では、腸と肺をつなぐこのネットワーク全体でバランスが崩れていることが多いのです。
COPDの下気道細菌叢:喫煙による長年のダメージが土台
COPDは、長年の喫煙や大気汚染などによって気管支や肺胞(肺の細胞)が物理的に壊され、息切れや咳が慢性的に続く病気です。COPDの細菌叢の変化は、喘息とはまったく異なる経過をたどります。
喫煙などのダメージでバランスが大きく崩れる
COPD患者の下気道細菌叢は、長年にわたるタバコの煙などの有害物質にさらされることで、健康なときの状態から根本的に書き換えられてしまいます。肺を守る働きがあるとされる「プレボテラ属」(バクテロイデーテス門)などの善玉菌が大きく減り、代わりにヘモフィルス属・モラクセラ属・ストレプトコッカス属といった悪玉菌(プロテオバクテリア門やフィルミクテス門)が気道全体を占めるようになります。
「急性増悪」の直接的な引き金になる
COPDのもっとも恐ろしい特徴は、風邪などの感染をきっかけに呼吸状態が急激に悪化し、命に関わることもある「急性増悪」です。この急性増悪の際には、気道内で緑膿菌(シュードモナス)やインフルエンザ菌といった特定の悪玉菌が爆発的に増えます。これらの菌は強力な毒素を出して肺組織をさらに壊し、肺機能を後戻りできないところまで低下させてしまいます。
重症化の悪循環とステロイドのリスク
肺の破壊が進みCOPDが重症化するほど、有益な細菌が減り、有害な細菌が増えるという関係がはっきり確認されています。つまり下気道のディスバイオシスは、COPDの結果として起こるだけでなく、病気の進行そのものを加速させる原因にもなっているのです。また、COPDの治療で使われる吸入ステロイド薬が、気道の局所免疫を抑えすぎることで、一部の細菌の増殖を許してしまうリスクも近年指摘されています。

まとめ:喘息とCOPD、細菌叢の決定的な違い
乱れが始まる原因と時期がちがう
喘息の細菌叢の乱れは、免疫システムが発達する「小児期の環境や感染」に起因することが多く、アレルギーの発症と連動しています。一方COPDの細菌叢の乱れは、「長年の喫煙や有害物質の吸入」によって成人以降に後天的に形成される、長期間にわたる物理的・化学的な環境破壊の結果です。
善玉菌が減るパターンがちがう
どちらの病気でも、健康な人に比べて細菌の多様性は低下します。しかし減り方のプロセスは異なります。COPDでは、肺の健康を保つ「プレボテラ属」などの細菌が、喫煙歴や肺機能の低下に比例してはっきりと減っていくのが特徴です。一方喘息では、肺の組織そのものが物理的に壊れるわけではないため、COPDほど画一的で深刻な善玉菌の減少は見られません。
悪玉菌の「働き方」がちがう
両方の病気でヘモフィルスなどの細菌が増える点は共通しています。しかし喘息では、これらの細菌はおもに「免疫の過剰反応を長引かせること」や「ステロイド薬への抵抗性を強めること」に関わります。一方COPDでは、これらの細菌自体が肺の細胞を直接攻撃し、組織を壊して命に関わる「急性増悪」を引き起こす実行役になります。
喘息もCOPDも、「下気道細菌叢の乱れ」が病状に深く関わっている点は共通しています。現在、世界の医療機関では、抗菌薬やプロバイオティクスによって肺の細菌バランスを整え、病気の進行を食い止める「精密医療(プレシジョン・メディシン)」の研究が急速に進められており、今後の治療の大きな柱になると期待されています。
参考文献
1.Why the COPD Microbiome Matters: How Airway Microbes Shape Disease Severity and Treatment Response, Yu Y, et al., International Journal of Chronic Obstructive Pulmonary Disease, 2026, DOI: 10.2147/COPD.S531521
要約: COPDにおける下気道細菌叢のディスバイオシス(Prevotellaの減少とMoraxella等の増加)が、病態の重症度、急性増悪の頻度、治療への応答にどう影響するかを包括的にまとめた最新のレビュー論文です。
2.Microbial influencers: the airway microbiome’s role in asthma, Kim YJ, Bunyavanich S., Journal of Clinical Investigation, 2025, DOI: 10.1172/JCI184316
要約: 喘息の発症や経過における気道細菌叢の役割を解説しています。乳幼児期の特定の細菌の異常な定着が将来の喘息発症リスクを高める点や、炎症のタイプと細菌の関連性について詳細に論じています。
3.Lower airway microbiota in COPD and healthy controls, Tangedal S, et al., Thorax, 2024, DOI: 10.1136/thorax-2023-220455
要約: COPD患者と健康な対照群の下気道細菌叢を直接比較した研究です。COPD患者の気道では細菌の多様性の均等度が低下し特定の悪玉菌が増加すること、さらに喫煙が細菌叢に与える特異な影響について実証しています。
大阪府吹田市長野東19番6号
千里丘かがやきクリニック
院長 有光潤介